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令和3年度より寄託を受けている『惣社八幡宮文書』の整理・調査を行った成果を紹介し、『厚狭毛利家文書』(厚狭図書館寄託)や『二歩家文書』(館蔵)と併せて、江戸時代から明治時代の惣社八幡宮についてみていきます。
山陽小野田市郡にある惣社八幡宮は、社伝によると文治3年(1187)に源頼朝の祈願によって鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請したことが始まりとされ、長門国の鎮守となったことから「惣社」と名乗るようになったとされます。以後、大内氏や毛利氏から神社は護られていきます。
江戸時代には、萩藩毛利家やその一門である厚狭毛利家より「祈願所」と位置づけられ、藩や人々のために様々な祈祷が行われていました。
明治6年(1873)、明治政府による社格制により「村社」に列せられることになりました。
写真:惣社八幡宮
企画展「古文書にみる惣社八幡宮」チラシ [PDFファイル/1.17MB]
令和5年11月11日(土曜日)~12月26日(火曜日)
山陽小野田市歴史民俗資料館2階展示室
無料
『惣社八幡宮文書』の中から、由緒や社格に関するものを紹介します。
写真:惣社八幡宮御勧請之由来幷大宮司開基之事
惣社八幡宮の由緒をはじめ、大内・毛利両氏関連の「御判物」をまとめたもの。
地域の核としての役割や祈祷に関する古文書を紹介します。
写真:奉御祈祷目録之事
惣社八幡宮では、様々な内容の祈祷が行われていた。
主に『二歩家文書』を用いて、明治時代の惣社八幡宮をみていきます。
写真:『二歩日記』明治10年10月10日条
惣社八幡宮で「コレラ予防」の説教があったと記されている。