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須恵地域交流センターを出発します。
隣の須恵健康公園に向かいます。
須恵健康公園には、ウォーキングコースやグラウンド、子どもの遊べるスペースがあります。
グラウンドでは、市民の方々が野球をしていました。このメンバーで6年間野球を行っているそうです。
須恵健康公園を出て、若山公園に向かって歩道を歩いていきます。歩道があるので、歩きやすいです。
5分ほど歩くと歩道橋が見えますので、歩道橋を渡り公園に向かいます。
若山公園入口です。
若山公園は、小野田セメントの創設者である笠井順八翁の私庭を整備したのが始まりです。
公園内には忠魂碑や野外ステージなどの施設があります。
また、桜300本、つつじ200本が植栽されてあり、春には桜が満開になります。
若山公園の次は、住吉神社です。約70段の石階段を頑張ってのぼります。
笠井順八翁の生家は航海の安全を守る住吉明神を心から敬っていました。明治20年、
笠井順八翁は、明神を私神として祀り、祭礼を行ったということです。
住吉神社の隣には、笠井順八翁像があります。この小道を抜けて像に向かいます。
笠井順八翁像は、高さは3メートルあるということで迫力があります。
笠井順八翁の歴史については、下記に記載しています。
神社を出て少し歩くと、小野田セメント山手倶楽部があります。
旧小野田セメント株式会社社長笠井真三氏が、ヨーロッパ遊学の帰途、イギリスからコンクリートブロックの型枠を持ち帰り、ブロックを製造、大正3年に完成したものです。
最後に、セメント住吉社宅である「龍遊館」です。歴史的建築物になります。
現在は、太平洋セメント会社から無償で貸与され、市民活動センターや地域の交流の場として活用しています。
少し歩くと交差点があります。交差点付近の足元に案内表示がしてありますので、須恵健康公園に向かって帰ります。いよいよゴールです。
歩幅(センチメートル)=身長(センチメートル)×0.45(歩く速度、普通に歩いたとき)
歩く速度が普通の場合1時間約4キロメートル歩くことができます。
須恵地域交流センター→須恵健康公園→若山公園→住吉神社→笠井順八翁像→龍遊館→須恵地域交流センター→須恵健康公園
笠井順八翁は、1881年(明治14年)に日本で初めて民間のセメント製造会社となる『小野田セメント製造会社』をつくり、初代社長となった人です。1980年(昭和55年)には名誉市民第1号になりました。現在の小野田線にあたる鉄道の建設にも尽力し、山陽小野田市の礎を築きました。
歩いてみてどうでしたか。皆さまの感想を募集しています。
健康増進課(保健センター)下記メールアドレスまでお願いします。
hokenc@city.sanyo-onoda.lg.jp
令和2年10月26日に須恵校区の健康推進員の皆さんが歩いてみました。
10月は気候も良く、木々も紅葉で色づき始め、さわやかなウォーキングができました。